大切な人を亡くしたつらさが、時間の経過とともに軽減していき、こころが整理されていくプロセスを言います。遺された者が自分自身で見つけていかなければならないプロセスであり、それが「グリーフワーク」と言えます。

故人の生と死の意味づけ

遺された者が、この事態を受け止めるための一つの方法は、故人の生と死の意味づけをし、解釈することであるのだと思います。故人は、「どんな使命をもって生まれ」「その役割を果たし」「わたしたちに素晴らしい人生と深い愛情を残してくれたのだろう」という意味づけです。肯定的に故人の存在を感じます。

自分にとっての意味

そして、故人との出会いや別れが、自分にとって「どんな意味があるのか」をも考えることです。故人の死を「なぜ?」と問うと悲しみや絶望しか見出せませんが、「どんな意味が?」と考えられるようになれたなら、悲しみの中にあっても、どうにか一歩を踏み出せそうに思うことができます。故人が確かにここに存在していた証を、心の中に得ることができるのです。

人生の再構築

そうすることで、次第に死を現実のものとして受け入れることができるようになります。故人のいない現実社会を生きていくことに折り合いをつけながら、故人のいない世界に適応していくことができるようになります。哀しみを抱えながらも、故人との新たな繋がりを得て、人生を再構築し、新しい生きる価値を見出していきます。

悲嘆の最中にある時、感情は激しく動揺します。悲嘆のプロセスとして多くの研究者により、それぞれの段階に分けて説明されているように、怒り・否認・孤独・抑うつ・受容などの感情が、行きつ戻りつ、繰り返す波のように反芻されます。それは、一人ひとり、ゆっくりとそれぞれのペースで、それぞれのプロセスをたどっていきます。

そして、喪失の苦しみの中にありながらも、目には見えない存在ではあるけれど、故人を常に胸に抱き、「故人の生きた証」や「自分にとっての意味」を考えられるようになれたなら、止まってしまった時間を進めることができるようになれるかもしれません。

哀しみを抱えながらも、もう一度生きていく力を取り戻せるようになっていきます。

プロセスの途中にある様々な反応

【価値観の変容】

大切な人の死に遭遇したことによって、価値観・人生観・死生観が変わったと感じることがあります。

これまで大切に思っていたことが、実はそれほど重要ではなかったことに気づき、わずかなことがとても大切に思えてくる。何を見ても以前のようには楽しむことができなくなったり、今まで見ていた景色が、全く違う景色に見えるようになります。未来の希望を見出すことができません。世間の時間の流れと、自分の中の時間の流れの乖離。これまでの人間関係をも淘汰され、身の回りの多くのことが不要になったことに気づきます。大切な人を失ってしまったことを機に、人生が全く違ったものに感じることがあります。「あの日、私も一緒に死にました」あの日以前の自分はもう居ない、と感じることがあります。

【二次的傷つき】

相手の気遣いや言葉がけが負担に感じることがあります。“良かれと思って“かけてくれた言葉に、ひどく傷つくことがあります。こちら側(経験した者)とあちら側(経験していない者)のように広く深い隔たりを感じ、「悲しみを分かち合えない」と周囲との違いを感じ孤立してしまいます。

そんな経験を重ねてしまうと「この喪失感は誰にもわかってもらえない」と他者を拒絶してしまったり、普通に生活している人が羨ましく思えたりします。さらには、そんな自分の卑屈なこころの貧しさを嫌悪してしまうのです。

不用意にこころに侵入してくる言葉に傷つきます
「あなたのつらさ、分かります」と言わないで。
「大丈夫?」と聞かないで。
「元気そうで良かった」 。。。そう見えているの?
「時が解決してくれる」 。。。なんて思えない。
「いつまでも泣いていたら、天国で悲しんでるよ」と突き付けないで。
「よく乗り越えたね」なんて、どうか言わないで欲しいのです。

【記念日反応

命日や思い出の日、記念日といった特別な日が近づいてくると、精神的に落ち込んだり、不安定になったり、感情の揺れ幅が大きくなることがあります。その時のことが、皮膚感覚で蘇ってきたりします。さらには体調を壊したりします。これを「記念日反応」と言います。

【公認されない悲嘆

例えば、自死やLDBT、不倫相手との死別のように社会的に「公認されない死」をいいます。秘密にされ、その死を公に悲しむことを認められないため、誰にも語れず孤独にグリーフに向き合わなければなりません。十分に悲しむ機会が与えられなく、複雑なグリーフに陥りやすいと言われています。

【あいまいな悲嘆】

喪失そのものが不確実で、失ったかどうかがはっきりしない喪失のことを言います。例えば、災害で行方不明のまま死亡を認定されてしまうことなどです。認めがたいのではあるが、現実には大切な人はいなくなってしまっているのです。

最近では、感染症で亡くなり、家族は死に目にも会うことを許されず、ご遺体にも触れられずに荼毘に付され、遺骨で帰ってくる。現実とは思えない、遺族の悲嘆、確認できていないあいまいな喪失であると言えます。通常の喪失と異なり「終わりのない悲しみ」のために、前に進むことができないため、そのあいまいさの中で生きていかなくてはなりません。

【複雑性悲嘆】

悲嘆の程度が通常の範囲を超えて長引き、社会生活や日常生活に影響を及ぼし、グリーフワークが充分に行われない状態をいいます。抑うつ症状、不安症状、トラウマ反応などが認められ、生活機能レベルが低下します。心理的、社会的に機能が障害されていることが多いので、精神医学的介入が必要です。

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